ぼくは「広告代理店」に勤務したことがあります。
「広告代理店」はかっこいいと「憧れ」を持つ人もいれば、「過酷」なイメージの人もいるでしょう。
会社によって、随分と様子が違うので「どちらも正解」だと思います。
ぼくも勤務するまでは(いや、正確に言うと面接に行くまでは)
想像するに、華やかで、スーツをさっそうと翻し、闊歩していくような姿。
スマホ片手に、段取り良く打ち合わせしている様子。
制作した「広告」による「プロモーション」による反響。
のようなものを想像していました。
しかし、ぼくが勤務した「広告代理店」は「過酷さ」の方の会社でした。
パワハラも多い会社だったので、「過酷さ」はヘビー級でした。
現在のぼくは、
確かにそのときの経験によって自分の好きな「デザイン」や「原稿入稿」や「プロモーションの打合せ」や「反響の予測」ができるようになりました。
でも、当時はとにかく、制作「技術」だけをマスターし、「長居は無用」と短期間で転身しました。
一人の先輩(他社へ転職ずみ)とは、年も近く現在でも付き合いがありますが、その他には「技術」以外に、何も得たものはありません。
その時の様子について、少し紹介してみます。
Contents
とある「広告代理店」に勤務してみた【その時の話】
「広告代理店」の面接のときに、社内の雰囲気は、すでに感じていました。
「なんだか従業員の表情が暗い、こわばっている。時々怒声が飛んでいるぞ。言い方が、高圧的だな。」
きつそうだな。
でも、ぼくもその頃まだ20代の半ば。「デザイン制作」の経験がほとんどありませんでした。
未経験者が仕事を選べるほど、ゆるい業界ではありません。
「現場での実務経験」いわゆる「実績」こそがものを言うような業界です。
「技術」を要する現場は、「未経験」の者にとっては、「買い手市場」となることが多い。
だから、ぼくも「採用」の連絡が来たときは、「最初の一歩だから、選べないな。」と入社を決めました。
でも、その翌日から会社の前で「高校時代の友だち」に、「今から出社やねん。毎日やばいねん、過酷やねん。」と、コーヒーを片手に、毎朝のように電話をする始末でした。
とある「広告代理店」に入社する前
「広告代理店」に入社したのは、26才の時。
それまでは「大手家電量販店」でパソコンの「販売営業」をしていました。
「販売営業」は最初は上手くできませんでしたが、入社2年足らずで、物の「売り方」を知りました。
「売り方」のフォームが身につくと、どんどん「売上」が伸びていきます。
個々の「売上」がボーナスに直結する「歩合制」の会社だったので、ありとあらゆる手段を駆使しして売りまくりました。
結果、「年間セールスの粗利益」が営業上位ということで「褒賞旅行」も、2回ほど頂きました。
順調な「販売職」を過ごしていましたが、自分の中では「そこは通過点」とし考えていました。
パソコンを販売することで、知りたかったこと。
それは、「物の売り方」と、パソコンについての「知識」でした。
セールスが伸び、自作PCも一人で作れるようになったので、「セールスプロモーション」や「ブランディング」についてもっと深く考えるため、「広告代理店」業界へと転身したのです。
「広告代理店」は会社によって全然ちがう
言い方は良くないかもですが、入社した「広告代理店」は「社員」のレベルがあまり高くない印象でした。
年間2億円以上の、OA機器のセールスをしていた「販売職」から転身したぼくにとって、仕事の回し方が、なんとも「幼稚」に感じました。
「デザインスキル」や「データ入稿」、「データ保管の仕方」については、当然、学ぶことも多かったのですが、業務の効率や、回し方、言われないと動けない社員には、正直「ヘボい」と感じました。
これは、あとでわかったことですが「勝手に動くと怒鳴りつけられる」ことが原因だったのです。
社員の育成が、とても下手な会社でした。毎年毎年、入社しても短期間で辞めていきます。現在でも「80%以上の社員が、未経験から入社」なんてうたっています。
それでもって、給与は手取り「14万円」プラス「交通費」でした。
「幼稚」だと感じる会社に入り、前職よりも、月給は10万以上減りました。
60万くらいもらえていた賞与も3万円になりました。
勤務は8時~22時くらいが平均です。
給料は減ったけど、
大好きなマックに囲まれてグラフィックができる。
とにかく、今まだ知らないことを吸収しようと自分に言い聞かせ、乾いたスポンジのように頑張りました。
そして、何のために「転職」したのか。
「目的」だけブレないように意識して勤務しました。
自分の「ビジネスに生かせるものを見つける」それを見る目だけは失わないように勤めてました。
社員のレベルが低いと、しょうもない規制があったり、
下品な行為が増えたりします。
なおかつ、マイナスのオーラがどんよりと社内を取り巻きます。
ヘボいと思ったとある代理店
・制作社員30人もいるのに、勝手に電話に出てはいけない
・上司の灰皿を毎日洗う
・レーザープリンターの一枚の印刷ミスで詰められる
・気分でパシリに使われる
・「あほ」「ぼけ」やらの怒声の連続
・突然失踪する社員
・社員を軟禁する上司
・横領でクビ
・大忘年会で「万券」が舞う
・「辞める」と言った瞬間、その人への風当たりが一気にきつくなる
これでもか、というほど一般的に言う「会社の良くない部分」のオンパレードでした。
週6(土曜は午前中だけ)で働きました。
あまりに怒号や罵声が多く飛び交うので、さすがに体調も悪くなりました。
記憶力も悪くなっていくのがわかりました。
基本的に、自分で主体的に行動するタイプだったのですが、判断する力も弱まってきて、自分で考えて動くことができなくなってきていました。
強い「マストmust」を要求されると、人はこれほどまでに、考える力が弱まるのか、と実感した経験ですね。
ただ「制作物」を仕上げるスピードは、ものすごく速くなったと思います。
本当に、半日もあれば、
B4の両面カラーのチラシ一枚仕上がるほどのオペレーション技術は身につきました。
上司が「高圧的に無理矢理作業させていった賜物」です。
おそらく、関西でトップクラスの制作物の仕上がりスピードだと思います。
マックのショートカットキーが、ガッチャガッチャと音を立てて押されまくっていました。
入稿データのミスも一度もしたことはありません。
※理由は、おもっきり怒鳴りつけられるから、です。
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辞表を出してからの日々
1年で辞めようと思っていたので、1年間で随分のことができるようになりました。
そりゃ、週6日でグラフィックばかりしていたら、スキルも伸びてきます。
で、もうすぐ1年経つ、ということで「辞めます」と帰り道で当時のディレクター(男性)に打ち明けました。
ところが、後で知ったことですが、そのディレクターはマネージャー(女性)とできていました。
案の定、翌日からのマネージャーの態度が一変しました。
にらむような目つきで、普通のことでも、ボロカスに言われるようになりました。
「これは耐えられないな」と思ったので、2週間ほどしてから、「辞表」を文面で提出しました。
が、
「なんじゃこりゃ。こんなもん、受け取れるか!」
とマネージャーに一蹴され、突き返されました。
デザイナーが複数人いる職場は、得意不得意なジャンルによって、クライアントを分けたりします。
ぼくは、すっきりキレイなデザイン(美容室、エステ等)よりも、
割と、こってりメリハリしたデザイン(飲食、通信、中小企業等)の方が得意だったのです。
当時、その分野のデザイナーがいなくなる、
そして、それを求めてくるクライアントさんが居る、ということが会社にとって一番のネックだったのでしょう。
新米デザイナーだったのですが、ぼくも、わりとお客さんを抱えるようになっていました。
「広告代理店」にはいろいろな人が、就職面談を受けに来ます。
営業職は明るく爽やだったら高得点ですが、デザイン職は専門的な部分やデザイナーのカラー等もあるので、人を選ぶ一面があります。
そして、元々が「社員のレベル」がお世辞にも高いとはいいがたい会社だったので、
昔から、「自立・自己解決」をポリシーとしていたぼくは、制作室にとって、好都合の社員だったんだと思います。
しかも、給与は14万円。
会社は都合よくても、こっちは早々に見切りをつけますよね。
辞めると伝えてから、「辞めさせたるから、人が一人育ってからや」と言われ、そこから3~4か月ほどでしょうか、
それまで以上の無理難題を押し付けられつつ、勤務しました。
「入稿データ作成、何分でできる?」
「5本くらいあるから、40分くらいかかると思います。」
「遅い!もっとはよせえ。」
「え、もっと早くですか。じゃ30分です。」
「20分でやれ。終わったら次渡すから、即報告。」
原稿の制作には、時間がかかります。
でも、最後の「データ入稿」も大事な作業です。
ミスが発生すると、印刷の工程がストップし、会社へと問わせの電話がかかってきます。
または、「刷り色」や「色数」が違うのに、原稿がそのまま印刷されると、思っていた価格と違う値段で「請求」が来ることもあります。
そんな入稿作業を1データ当たりたったの「4分」でやれとは。
重たい画像データだったら、開くだけで最低1~2分はかかります。
「わかりました。」
ぼくは、いつもこんな返事をしてしまいます。
どんな無理難題を押し付けられても、言い訳したり、突っぱねたりすることがあまり好きではありません。
そこに何も生み出さないのが、わかるので受け入れてしまいます。
そして、
「何だかこの人、かわいそうな人だなあ。みんな離れて行くんだろうなあ。」と感じます。
そして、その後、そういう人とは二度と付き合わないようにします。
「入稿作業」は、言われた通りの時間で仕上げてました。
はっきり言って、その時は、ろくにデータチェックなんてしていません。笑
原稿の「文字」アウトラインをとり、色を一括で「カラー」や「DIC」や「モノクロ」に変え、データロックをかけて即保存!
そのまま「えい、やあ!」と、データを送っていました。
ミスよりも、
時間オーバーしたあとに、
「できんのやったら、なぜ先に言わんのじゃ!作業の途中でも、時間オーバーするのがわかるじゃろが!」と難癖つけられるのが嫌でした。
「そもそも、40分かかる、って言ったがな」なんて言い争うよりも、言われた時間で完成させる、そっちを優先していました。
「広告代理店」を辞めてから
会社の強い「マストmust」は人を壊します。
当然ですが、人としての尊厳を傷つけられるような言葉は、とても苦手です。
自分が言われてなくても、他人に言ってるのが聞こえるだけで気分が悪いです。
仕事を辞めた次の日、暗い部屋の中で、昼間からボーっとしていました。
「何をすればいいんだろう。」と、自分の部屋に、しばらくじっと座って過ごす日々が続きました。
今思うと、「考える」ということが、本当にできにくくなっていたんだと思います。
代理店を辞めてから、しばらく自然の中で自分を癒しました。
そんなとき、他の会社の「販売促進部」にお誘いの連絡がきました。
これまでの「制作物」を作品としてファイリングしたものを持参するとすぐに採用されました。
そこからまた新たな「セールスプロモーション」の道が始まりました。
「販売促進部」での出来事は、またの機会にまとめてみます。
今回は、ふと思い出した「広告代理店」での出来事を書いてみました。
でも、人の思い出は「つらい部分ほど忘れていく」と言われます。
ぼくも具体的な部分は、時間とともに影を薄めてきたようです。
昔からよく言われた言葉ですが、
若いころは「いろいろな経験」をすることをおすすめします。
その中には「ブラック」もあるかも知れませんが、「バラ色」も待っていると思います。
「辛い経験」は誰でも嫌だと思います。
でも、その経験があるからこそ、他のことを簡単に乗り越える「レジリエンス」が育つとも言えます。
レジリエンスって
・回復力、弾力性、しなやかさ
レジリエンスが高い人は、強いストレスがかかっても、うまく適応して克服や遂行、心のマネジメントができる。と言われています。
個人的には、バイタリティの基礎になるものだと考えます。
ぼくは、いつからか「長期的な目線で考える」ようになりました。
今が辛くても、10年後が「バラ色」だったらいい。
そんな気持ちで過ごせるくらい、心に余裕があるといいですね。
10年経ったときわかります。
今のあなたのビジョンは、決して間違っていませんよ。
今日も、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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